「三つ子の魂百まで」に、異論

今朝はラジオを聴きつつ、仕事の移動の時間を過ごしたのですが
スマホのラジコね。)

題名の様な話題を取り上げておりました。「~に、あるからにして幼児教育は大事である」との
お約束の結論です。

皆さん‥どう思われます?「そうだ!その通り」って、思う方は、以下は読まない方がいいです。
なので、ここでページは閉じてください。

「そうだ!」なんて思う人は、
今まさに子育ての最中で、視野が狭くなってると言うか‥燃えてるのかも知れませんね。

ささ、さてさて、すみません。そう言う方には「落としてしまう」様ですみませんが
こんな言葉があります。

「子供は親を選べない」です。
今の自分の状態や現状に満足してる方は「そうか!今の俺があるのは親のおかげか!」とか
そんな風に思えるのかも知れません。

‥でも人間の人生なんて、いい時もあれば、必ず悪い時も訪れると思います。
(と言うか何だその良い時なんかあったのか?俺みたいな。ぉぃ)

まぁマイナスな話で申し訳ないのですが、悪い時ならどうでしょう?
「親のお陰で今の自分がある。なんて最低なんだ」と、思う訳です。

で、ちょっとズレますが、皆さん‥産まれた直後の記憶があるでしょうか?え?あるの?(神か仏かよw)
あるとしたら、あれですよ「天上天下唯我独尊」。(これ言っておきますけど暴走族用語じゃありませんからね。)

3歳頃の記憶は断片的にはあるとは思いますが、
それは、今、こうして文章を読んでるが如く、自分の意思で行ってた記憶ではなく
確かに親が作り上げた世界の中での出来事であり「自分では、どうしょうもない」時期です。

それを大人になって「3つ子の魂百まで」とか、言われても「どうしょうもない」ですよね。
タイムマシンがある訳でなし、3歳の頃に大人の様な達観がある訳でもない。
そんな「酷」な事って無いんじゃないでしょうか?良くも悪くも過去は変えられない。
さらに言うなれば、自分が3歳の頃、自分で自分をコントロールできる訳がない。
3つ子の魂、百まで‥ってのは、えらい残酷な言葉に、私は感じてなりません。

実は、この「3つ子の~」は、日本の古くからの言い伝えだけではなく
海外の‥それも西洋医学?にも、あります。

ネットを検索すると、精神分裂症だ、鬱病だ、なんだかんだ‥こんなのが沢山出てきますよね?
その基礎(精神医学)となってるのが「フロイト」って言う学者で、
それが現在の精神医学の基礎になってるのですが‥
(と言うか、あくまで病気の発症についてであり、今の薬漬けは、あれは製薬会社の合法麻薬漬けの商魂で別ですが‥)

そのフロイトも「幼児期の親との関わり」(親が機能してなかったり居ない方は保護者だった人)が
その後の、精神病症の発生の影響してると、やたらに関連付けたりましてます。

(あとは性ですね。性欲の根源と言うか、やたらに性的固執やら執着を起因としたりします。それゃ人間、生きてれば性欲はありますし。枯れれば死にたくもなる原因なのかもしれませんし、生存欲や子孫を残す欲は基本でしょうから、言うは易いです。)

ズレまくってますが、この「3つ子の~」やら「フロイト」が言う
幼少期の親(保護者)との関わりが原因で、今の言ってみたら悪い部分が出てる!ってのは
「その本人には、どうしょうもない領域」「今更、やり直すなんて出来ない事」を言ってる訳で
凄く広義にいえば「運命は変えられない」とか「逆らえない」なんて言う
「前が塞がってしまってる」考えを植えつけるものです。

それこそ↑みたいなのは性欲の枯渇よりも「自殺に繋がる考え」を植えつけてませんか?って事です。

‥ですから、私は、このテの論調は大嫌いですし、認めたくはありません。

仮に「運命が決まってた」にしてもですよ。そんな先が決まってしまってたら「楽しくない」じゃないですか?

これとは逆説的?な言葉が「終わりよければ全てよし」です。
‥だからって「途中は、どうでもいい」って話じゃないですよ?
「良い終わりを目指して途中も励んで良くして行く必要」があるし
そうしてるからこそ「良い終わりに向かえる」と言う意味です。
(すみません。訳がわからなくなってきた。俺はサイコ野朗か!笑)

確か「嫌われる勇気」で有名な「アドラー」って言う学者が、こっち系に近い気もします。

とにかく、フロイトだの、3つ子の~だのは、下手すると「絶望に繋がり」かねませんし
それこそ憂鬱な状態の方は、1度そっちに転がると中々、プラス所か?中立に戻すのですら困難です。
(それが憂鬱ってものです。)

私は、そう言う考えは嫌いです。