あっ‥言われてみたら、その通りだ‥

本日は、ちょっと自転車で走行する道の選定に辺り、通った事がないルートを
「クルマで下見に行く」と言う、何とも本末転倒?の様な事をしてきた様に思う‥のですが

考えてみたら、今、この歳になってみたら「クルマで通った(通りなれた)道の方が圧倒的多数」であり。
「その経験を元にルートを頭の中で決めてる」んだから、今までだって同じな訳であります。

ここでグーグルアースを開いて、道の映像を見て「行った気になって決める」のではなく
実際に足(と言うかクルマね。)を使って自分の生の目で見て、エンジンを使い走ってるのだから
まだまし‥なのかも知れません。

ブッつけ本番で行って、駄目だとなった時に、迂回する気力体力がある20代の方なら不用かもしれない。
↑こう言う意味でなら「若ウチの苦労は金出してでも買え」(経験と言う後々の知恵に繋がるから)は
アリかも知れませんね。

ただ流石に、もうそう言う事は出来ないし歳であり、道半ばで目的達成せずに帰る事になりかねません。

今回の、その場所は自宅から30km位離れた場所にある台地の様な場所です。
目的は、出来たら60k~50k先まで行きたいのですが、その中間の30kの場所に隘路がある。

流石に30k先だから、その手前の周辺ほど詳しくもない。(実際自転車で走行した経験なし)
どこを越えるにしても、ちょっとした峠(ったら大袈裟かな)があるので1番楽な場所を探りたかった訳です。

電動アシスト自転車なら、こんな事は考えなくとも済むんでしょうけれどね。
アシスト無しの自転車だと、体力の温存やら配分が、要になる気がします。

前にも書いたかも知れませんが
・どこまで行くのかも分からない、単に近所周りで走行してる自転車や
主婦が駆る電動自転車に刺激されて、自分のペースを乱すと、その後が取り返しつかなくなります。
自分はあくまでも「遠方にダラダラと行く」ってのを忘れない様にしないとです。

こんな事は書かなくとも、そんなの読んでる皆さんも同じ人間なので良く知ってる事ですが
「気力と体力は比例する」って点。

若いウチは体力で気力が無くともカバーが効くし
私の歳くらいになると、逆転して、気力で体力を補う感じ。

どっちが良い悪いではありませんし、若いうちは気力が無いのは当たり前だし
逆もまた然り。いよいよ、どっちも費えると「老人」の域になる訳です。

‥そうなる前に‥と、半ば「焦り」みたいな気もあり、今のうちに行ってみたい気持ちがありますが
いやはや、どうしたもんでしょうね。笑

さて題名の件ですが、ある方(知らない方)のブログで読んだ1文に、
今まで自分で考えもしてなかった、ある問題にハッとさせられました。

申し訳ないのですが、文章を無断で引用させて頂く事、失礼ですがお許しください。

この、電動アシスト自転車登坂力問題は、被災地復興案の「住宅は高台に」にも関連する。高台に住めばという案には、移動手段の思考が抜けている。誰もが自動車を使えるとか、公共輸送機関で事足りると思うのは、大きな間違い。むしろ、そこを登れる、無免許でも使える何か、工夫が要るだろう。

です。
上で気力体力費えた時は‥なんて書いてますが、10年後は電動自転車に乗ってそうな気とか
そもそも、こうして長い登りがあると下見するくらい、坂は、やはり苦手なのですが
平地で行ける場所となると「やはり自転車は行動範囲が狭いなぁ」との思いも強まりそうで
色々読ませて頂いて勉強しております。

さて、この引用の話に似た話しで、私の住む市内のある高台に団地があります。
復興団地ではなく、それこそ私が10代や20代の頃に新築が立ち並んだ団地です。

家を建てた世代ってのは、
昭和20~30年代前半の世代の方々で、今は年齢が70歳に届く~50代後半ですね。

最近、その団地は「売り家」が目立つ様になりました。
以前仕事で住宅地図を使ってた頃は、やけに名前が違うなぁと思ったりもしました。

家々も確かに築20~位すれば手直しする時期かも知れませんし。
(あんまり詳しくないですが団地に立てる家の対応年数?は、そのくらいのサイクルですよね?)

そして最近は駅前に高層マンションが立ち並んで、ここ10年で駅前の景色は随分変わった気がします。
で、そこに住んでるのは、元々は、その団地に住んでた方々の割合が多く
(仕事上で良く知ってます。直接聞く機会もあります。)

事情的には
もう子供は独立して、夫婦2人。そんなに広い家もいらない。
それより、クルマの運転が、色々な意味で困難になりつつあり
病院への通院、買い物などで不自由を感じて街に越したと言うものです。

これは、全然違うケースですが、結局同じ話になるので、聞いてください。
やはり、御客さんから聞いた話ですが‥

二世帯住宅を建てた頃は、自分も若かったので
下に親が住んで、自分たちは2階で生活を始めた。(そこに基盤を作った)

そして数十年が過ぎ、自分が年齢を重ねてくると
何をするにも階段を登らなければならない事に、とても体力を使う。
住み慣れた家のはずなのに転落して骨折して‥なんてケースも‥です。

この2つ。上で電動自転車の方が書いてる記事の話と似てるんです。
「つまり、若いうちは歳を取った時の事なんて想像すらしない」
‥いや、出来なくて当たり前でしょう。仮にできたら保守的な、つまらない人生になってしまうし
それは、それでイイのかもしれませんが、知りたくないけど仕事上
こんな話も良く聞きます。

上の電動自転車の方の話も、それに似てるんですよね。
田舎だと、ホントウに車社会で、ついつい「坂」がある事の大変さを忘れてしまいます。
(雪が降れば、坂を登れなくて、その時だけは思い出すのかも知れませんが)

津波で押し流された場所は、悪い面だけみたら「そう言う危険な土地場所」ですが
それを忘れるくらい「便利で移動しやすい平地にあった」って事でもある訳です。

今、山間部の集落が限界集落とか、廃集落になる危機も叫ばれてますよね?
それだけみれば「兵どもの夢の‥」を夢にしてはいけない!かもしれませんが

結局人間なんか、これほど「分かりやすい」動物でも、あらんが如く。
気付いたら山間部や台地を手放し、平地に住む(便利だから)なんですよね。
(特に歳を取り、運動能力が落ちてくると)

ちなみに、その手放された団地の中古住宅には、
それこそ双葉郡の難民の方々が買って暮らし始めた訳ですが
彼らは、それこそ集団移転みたいなものなので、まだ若い人の割合も多く
そして、今後10年20年で、同じ様に、また不便さから手放す気もしますが‥

その頃には、もっと家が古くなり、人口も減ってるので、果たして
震災に乗じて、元々住んでいて高齢だからと手放した方みたいに売れるか?どうか‥ですね。
そして高台移転の件も、ひょっとすると‥似た流れを辿るのではないか?と、そんな気がしてなりません。

さて、人間ってのは生きてれば必ず歳を取り、あるピークを境に衰えて行きます。
どんなに金持ちでも、貧しくても、それは平等に訪れる事ですよね。
↑これは若い頃(30代)くらいまでは、分かってる様で実は判ってないと思います。
そんな風に思ってなくとも、下手したら「自分だけは」なんて思ってる上での考えが
どっかしらにあったりします。(ありえない事なんですが、でも変な自信?みたいなものがある)

最近、電動アシスト自転車に乗った高齢の方が座ったまま坂を登る姿も定着して
あまり驚かなくもなりましたよね?

驚くって書いたのは「本来なら、そんな事が出来たにしても、それは若者じゃないと無理」だったからですよね?
(非電動、普通の自転車)

普通の自転車なら、歳を取ると「自分自身が登るだけでも精一杯なのに、自転車も押さなきゃならない」と言う
本来は「ダブル負担」状態で、とても大変な事だし、そんな姿も時折見ましたよね?

↑これが悪いとか、みっともないって言いたいんじゃないんです。
自転車(素)ってのは、結構「その人自体の今」が出やすいもの‥と感じてますし

歳を取れば目も悪くなり、骨は弱り、筋肉も落ちて‥でも、それが自然なんです。
そこに電動なり、クルマ(エンジン)と言う、魔法のジュウタンがあると
「その時の自分の対応出来る限界を遥かに超えた能力を出せてしまう」って事です。

反射神経や、運動能力、その他諸々、本来であれば「自分自身で対応出来る能力」は
ホントウなら、自分の心がわかってなくても、体が限界だから辞めてと悲鳴を上げて伝える事により
誰でもホントウならわかる事なのですが‥

魔法のジュウタンで若人と変わり無い能力が出せてしまってる。
これは「自分の力を遥かに超えており何かあった時に対応出来ない」ことにつながりますよね。
これが=高齢者の事故みたいなもの‥だとしたら、

やはり移動できる運動性だけ高めた所で、残念ながら己が伴っておらず
ついつい自分の限界を本来なら感じれる筈が、逆に超えてる事に気付かない要因になってきたり
考えてみると、何とも深いですね。