![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101190150.jpg)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101190200.jpg)
これは最近の同じ位置の模様。(震災津波後~1年数ヶ月経過)
詳しい地図で見る場所はココです。
上の震災前の画像ですが、単純に車を撮影したかったのだけ…ではなく、
背景(漁港)と車を含めたトータル的な物が気に入りました。
仕事の移動中に目について、車が残ってるか?どうか?は掛けで
仕事の空き時間に、わざわざ戻って出向いて撮影した「絵」です。
上と下を比べると「灯台が消えて」「防波堤が途切れ途切れ」になり、「道路右側」の建物が消え
港に置いてある漁具が消えて、漁船も消えてるのがわかります。(漁に出てる居ない訳ではないです。)
確かに下の絵はスッキリはしていますが、漁港って言う割りには寂しい(寂れて)ますよね。
上の画像を撮影した頃は私も含めて誰もが「津波なんて日本海側か?三陸か?北海道での出来事で
この辺りは津波になっても海面が数十cm盛り上がる程度。と何の根拠もなくですが
そんな風にしか思っていませんでした。
分かってれば帰宅してデジカメ持って出向いたんですけどね…って分かってたら「それ所」じゃない訳で。
湿っぽい話ばかりで申し訳ないけど、多分、私が生きてる間には、もうこの風景は戻らないんだろうな・
まぁでも瓦礫だらけ…の中から、こんな先行きの分からない状況下で、意味なんか見出せない中、
寂しいとまで思える程に片付けたんだから…復旧された住民や関係者の方は、相当頑張ってると思います。
私っていえば、結局ココまでになるのに港湾復旧作業や家屋解体(清掃)には一切関わってません。
って言うか震災直後の混乱期も燃料不足等で自分の事で精一杯。
唯一やった事って言えば
原発事故で報道が全く来ず、津波被災は「宮城」や「岩手」福島でも「原町相馬」しか扱われず
「いわき」は何も無かったかの様な流れに憤慨して、ネット上で画像と文章を流した程度。
>港湾復旧作業や家屋解体(清掃)には一切関わってません。
プー太郎じゃなきゃ自分の仕事で精一杯で、何とも申し訳ないと言うか…
仕事上「片付いた後や片付けてる最中」の津波被災宅にお邪魔させて頂いた時は
通常の領域を超えて丁寧に仕事したり、土嚢の片付けや掃き掃除程度はさせて頂きました。
タダで出来る範囲は相手から言われなくとも、時間が許す範囲で出来る範囲で尽くしたつもりですが、
そんなの「総被害」から比べたら本当に微々たる物ですからね。
「がんぱっぺ!いわき」なんて言える立場でもありません…と思っております。
(他所からボランティアで来て下さった方々の方が、よっぽど言う権利があるかと。)