中之作魚港

マーチ・ルンバの画像を検索してたら自分のブログ(みんカラ)に、あった訳ですが…
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自分で撮影したんだから場所も良く覚えている。当然震災前の撮影日⇒ 2008/09/06 16:28:07

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これは最近の同じ位置の模様。(震災津波後~1年数ヶ月経過)



詳しい地図で見る場所はココです。

上の震災前の画像ですが、単純に車を撮影したかったのだけ…ではなく、

背景(漁港)と車を含めたトータル的な物が気に入りました。

仕事の移動中に目について、車が残ってるか?どうか?は掛けで

仕事の空き時間に、わざわざ戻って出向いて撮影した「絵」です。

上と下を比べると「灯台が消えて」「防波堤が途切れ途切れ」になり、「道路右側」の建物が消え

港に置いてある漁具が消えて、漁船も消えてるのがわかります。(漁に出てる居ない訳ではないです。)

確かに下の絵はスッキリはしていますが、漁港って言う割りには寂しい(寂れて)ますよね。

上の画像を撮影した頃は私も含めて誰もが「津波なんて日本海側か?三陸か?北海道での出来事で

この辺りは津波になっても海面が数十cm盛り上がる程度。と何の根拠もなくですが

そんな風にしか思っていませんでした。

分かってれば帰宅してデジカメ持って出向いたんですけどね…って分かってたら「それ所」じゃない訳で。

湿っぽい話ばかりで申し訳ないけど、多分、私が生きてる間には、もうこの風景は戻らないんだろうな・

まぁでも瓦礫だらけ…の中から、こんな先行きの分からない状況下で、意味なんか見出せない中、

寂しいとまで思える程に片付けたんだから…復旧された住民や関係者の方は、相当頑張ってると思います。

私っていえば、結局ココまでになるのに港湾復旧作業や家屋解体(清掃)には一切関わってません。

って言うか震災直後の混乱期も燃料不足等で自分の事で精一杯。

唯一やった事って言えば

原発事故で報道が全く来ず、津波被災は「宮城」や「岩手」福島でも「原町相馬」しか扱われず

「いわき」は何も無かったかの様な流れに憤慨して、ネット上で画像と文章を流した程度。

>港湾復旧作業や家屋解体(清掃)には一切関わってません。

プー太郎じゃなきゃ自分の仕事で精一杯で、何とも申し訳ないと言うか…

仕事上「片付いた後や片付けてる最中」の津波被災宅にお邪魔させて頂いた時は

通常の領域を超えて丁寧に仕事したり、土嚢の片付けや掃き掃除程度はさせて頂きました。

タダで出来る範囲は相手から言われなくとも、時間が許す範囲で出来る範囲で尽くしたつもりですが、

そんなの「総被害」から比べたら本当に微々たる物ですからね。

「がんぱっぺ!いわき」なんて言える立場でもありません…と思っております。
(他所からボランティアで来て下さった方々の方が、よっぽど言う権利があるかと。)