こ‥この境界線は‥( ̄▽ ̄;)

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今日行った御客さん宅の駐車場に車が入らないので、止むを得ず近隣の道路の広い所に車を停めました。
(おんや、俺が写ってしまってますな。マヌケ。)
ふと、こんな感じで周りを見回すと、
道路の規格の割りには、ちょっと立派な境界線が立ってる事に気付きました。

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え?え?おおおおおおお??
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ちなみにココは現状では県道ではりません。
1番最初の画像で奥に電柱が並んで、ガードレールが見えるのが県道です。
(地図で言う黄色い線)赤い十字印が撮影箇所。

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「県」が旧漢字じゃないですか‥
公的機関は、こう言う部分は無駄にキチントしてるので、新漢字に切り替わると同時に
旧漢字のものは破棄したりするので、これは多分「旧漢字の時代」に立てられたものであり
その後、新県道が別ルートで出来たので、そのまま残ったものと思います。

web上では旧国道に関しては、結構網羅されてる感がしますが
旧県道‥それも旧漢字の時代は県道だった‥なんてのは情報が皆無ですからね。

確かにこの道は昔からある雰囲気ですし、今の近くの県道は「馬鹿みたいに一直線」ですし‥
でも、この道が、昔、この辺りのメインルートだった雰囲気はあるのですが
県道だったとは知らなかったなぁ‥

で旧漢字の切り替えなのですが、文献を調べた所戦後(昭和21~24年)頃だそうです。
この道は、ひょっとすると戦前戦時から県道に指定されてたのかもしれませんね。

祖母は明治生まれなので、当然「旧漢字」の教育で育っていますが
考えてみると、書いてる文字に旧漢字を用いる事が無かったと思います。
と、考えると「使ってはいけない漢字」と、なんか罪でもある様な風に
何かの本だか?新聞を読んで熱く語ってた事がありました。

あの歳(聞いた頃は60代か?70代だった)で、トラウマの様に(笑)語ったのは
自分が生徒に教える立場だったから(高校の国語の教員です。)でしょうね。
多分、切り替えの時に、相当必死だったのかもしれません。

そして、そのアホ孫は、今だに「いわき駅」とは言わず「平駅」って行ったり「サティ」とか言う訳ですが‥
まぁ婆ちゃんも内郷駅を綴駅ってたしな。(距離は「里」だったし。疎通困難だってのw)

おまけですが、その境界線が立ってる道路の向かい‥
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以前、この日誌で書いたかも?知れませんが、この辺りに「警笛鳴らせ」の標識が存在してました。
私は、まだ免許を持ってなかった頃で、それを見たのは親の運転する車の助手席から‥

ご覧の通りで、人家が、それなりにある場所で、それは当時も然程変わらず
ここで慣らしたら、これゃ迷惑だわ‥と、通る度に、その標識を見て思ってたので勘違いではありません。

が‥私が二輪の免許を取った頃には姿を消してました。確かにまぁ迷惑ですよね。(^^;