勿来駅のキヨスクが閉店

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仕事で勿来方面に行った際、久々に勿来駅に立ち寄ってみた。

本当は隣のコンビニに行ったんだけど、駅にも行ってみた訳です。

なんか昼間なのに、隣のキオスクが閉ってるなぁ‥と思ったら、キオクス閉鎖q(T▽Tq)
なんでも今年3月の事だったらしい‥

この駅のキオスクは駅の外にある珍しいタイプで

(以前「広野」も同じだった‥と思う)
国道のすぐソバでもあるので
車で立ち寄った際も鉄道利用者じゃないのに、
車から降りて買い物した位結構立ち寄ってたんですけどね。残念。

去年の3月には、あれほどあった415系鋼体車は姿を消し
広々とした貨物線が残るだけの姿に戻った。

この貨物線は
付近にある工場である「呉羽化学」の貨物線と以前は繋がっていたんですが
数年前に貨物輸送を廃止、

側線だけが残っていた所に、廃止となった415系の留置場所としての白羽の矢が立った訳です。

この駅の貨物線では、貨物としては珍しく「EF81」が入れ替えをしていて
目の前に側線があるので「客レ」が無くなった今、目の前でEF81が見れた駅だったんですけどねぇ‥
(後述しますが、現役の泉駅は側線が駅から離れてます。)

貨物輸送も無くなり、廃車予定の車両も無くなった今、
この側線群は「サラ地」化(多分住宅にでもなるんでしょう‥)される予定です‥
後年の鉄道の姿が、また消えようとしてますね。

勿来駅自体も、駅の規模、利用人数の割りには、委託ではなく
JR職員配置の駅だったんですが,貨物側線が使われなくなった今‥
委託、若しくは無人化されるんでしょうね。
(指定券等の「グリーンの窓口」機能は去年から自販機化されたらしいし‥)


福島県内の常磐線の駅の貨物側線については、私が中学3年の当時で

植田駅は、元々土地に余裕が無かったので、駅北側2~3k地点に
「勿来火力発電所」の燃料輸送専用側線がありました。
これについては現在空き地です。

泉駅だけは‥
福島臨海鉄道が奇跡的?に現役で当時の姿を残してます。
ただ、駅前側から駅裏の団地へ至る踏み切りが廃止されてしまったので
常磐線と福島臨海鉄道の間の空き地から側線群を眺めるのは出来なくなってしまいました。

湯本駅
駅裏にあった側線は、しばし駐車場として利用されてましたが、架線柱の幅を見ると
往年の姿を想像出来た‥んですが
最近パーク&ライド化され、架線柱も不要な分の長さは短くされてしまい‥往年の姿は
ほぼ消えましたね。

内郷駅
近くに貨物の操車場(いわき貨物駅)があって、
大きなヤードがあったんですが、今や道路さえも区画整理されてしまい
往年にあった「日本通運」の倉庫と、団地脇の古く必要以上に長い跨線橋だけが、
辛うじて当時の姿を残してました‥が、これもココ数年で姿を消しました。

その操車場から内郷駅へ続いていた専用線は橋梁モロとも姿を消してしまい
内郷駅裏にあった小規模の側線も宅地化されました。

磐越東線赤井駅にも
専用線に至る側線跡があったのを覚えていますが
そこは、架線を貼る訓練場になってました。
当時、なぜ非電化の路線に電線!と驚いてたんですが
そこも今は宅地。

小川駅については
小川~大越間にセメントの材料を運ぶ鉱石を運ぶ貨物があって
少し前までは製材所の後に姿を残してましたが
ここも近年製材所の閉鎖と共に宅地化されました。

草野は、元々貨物の側線は無く‥
それで土地が空いてたので常磐線電化の際に電留線に選定されたが幸いして?
今でも電留線のままです。

四ツ倉駅
今でも駅裏に残る広大な空き地がセメント工場の跡地で
貨物側線跡も、線路や架線は無いですが、現存しています。

跡地になっても残ってる訳は、裏の広大な敷地と関連していて
その工場の跡地の地権者が「全部の土地を一括で購入しない限り売らん!」といってるので
買い手が付かない状態なんですよね。
(近年、工場跡地の道路が、工場に沿ってグネグネしてた部分だけは、ようやく売った模様で
道路が綺麗な直線になりました。)

鉄道が輸送、交通の主力じゃ無くなったのは、もう当たり前でありますが‥
往年の姿を偲ばせる物でさえ‥消えていってしまうのは、本当に悲しい限りです。

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↑(私撮影ではありません。web上の拾い物です。)
この頃が「勿来駅」の最後の輝きだったのかもしれませんね。