常磐線 末続駅

先日仕事で付近の家に伺う際に、駅の前を通ったら「ユニオン建設」(鉄道建設会社)のトラックが集結してたので
「これは、いよいよ駅舎取り壊しか‥」と思ってたのですが、真実を確かめるべく、本日末続駅に行ってきました。
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結果ですが、私の早とちりだった様で、駅舎は健在でした。(^^;良かった良かった。
かの震災で駅舎も結構傷んで、何かの文章が貼られてたりしたのですが、修繕も済んだ模様です。

以前とは異なる点で灰皿の上に看板が追加されてます。
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津波の際の避難経路なんかが書かれてる訳ですね。

あの震災の時の津波では末続駅には津波は到達してませんって言うか、末続駅津波が押し寄せるのであらば、
隣の久ノ浜、さらに隣の四倉、逆側隣の広野、隣の木戸駅の方が、先に富岡の様に
跡形もなく津波に飲まれるくらい‥この末続駅自体が標高の高い所(ちょっとした山の上)に、あります。

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上の地図では避難場所の、末続集会所まで「徒歩13分」とあるのですが
子供、老人の足では13分は無理だと思う。想像だけど頑張ったにして多分20~30分掛かります。

かつ経路に国道6号線が書かれてますが
駅から3つ目の矢印の付いてる場所に、川が交差してるのが分かるかと思うのですが、
実際「その辺りは駅より低い」く、マジで川で国道も標高を下げており…津波の時は1番危険な場所です。
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仮に命からがら必死に散々1km程度歩ってきたとして、駅から高度を下げてしまった所で
今度は避難場所である集会所付近で猛烈に上り坂を登って25mの高度に達する‥
体力の無い者は途中で登るのを諦めてしまい次々波に飲まれるのではないでしょうか?
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そこに誘導してるのは「どうか?」って土地勘分かる人間ならば気付くのですが
電車に乗って遠方から来てる土地勘の無い人は「これに従って」しまう訳で、
これは「どうか?」って本気で思いますよ。

じゃぁ、どうしたらイイんだ?って言うと
反対側(下側/南側)も国道や鉄道は川ってか谷を通ってますが標高を下げずに
橋で谷を跨いでいるので、線路上や国道6号に居る分には安全です。

かつ列車が動かないなら線路沿いを歩けば隣の久ノ浜手前までは、ずっと高台を歩いて行ける。
(途中で国道6号に出る事も可能。)
ど~考えても「北」ではなく「南」に誘導すべきなのに‥これは一体何なんだ?( ゚д゚)

と言うか私なら「駅から離れず、駅で待機」します。それがココでは地図に従い北に動くより絶対安心。
わざわざ低地を通ってる国道を歩いて川が流れてる場所を通った挙句に再度、山を登るとか‥ありえん。

標高が駅が15m 避難場所が25mとあるけど、駅から国道に出ようとすると、まず最初が上り坂なのです。
上の避難地図で言う1個目の矢印の位置ですね。その辺りで駅よりも更に5mは高いしね。

津波で流された「新地駅」では、電車から乗客が自主避難し「山」へ登ったから犠牲者が無かった訳ですが
何が何でも駅より避難させればイイってんじゃなく、
末続みたいな場所は「動かず駅に留まってください」が本当では無かろうか?
まぁ‥そう書くと万が一の時にJRの責任になるから責任逃れで書いてるのかも知れませんが‥

なので、これは従うべきではありませんし、より危険な方向へ進ませてしまってます。
逆に災害があったら駅に近隣の住民は駅に避難してくる様な場所なんですぜ‥
まぁココを見た方は、末続に関しては、この地図「全くの役立たず」なのは覚えておいてくださいね。

さて、駅の話に戻ります。
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以前は、真ん中の青い椅子が無かったのですが、何故か椅子が追加‥ご覧の通り意味が分からん。
まぁでも、元の椅子が撤去される様な愚行は、されてないので良しとするしかないんでしょうかね。

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国鉄時代から、すでに無人駅であり、当時の雰囲気を色濃く残しています。
確か当時も、現在も、上野から来て初めての「無人駅」なはず。

東海道線は根津川あたり、東北線だと黒磯の隣辺りが首都圏からの初無人駅ですが
意外に常磐線は、結構離れないと無人駅がないのが分かると思います。

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国鉄の時の雰囲気のまんま‥ですが、
実はJR後に「平駅」が「いわき駅」になってるので国鉄時代のまま‥と書くと誤りになってしまいます。

この駅に初めて降り立ったのは小学5年の頃の昭和57年頃です。
当時は、まだ「いわき」には住んでおらす、祖父祖母の里が「いわき」なので
学校が春休みの時に付き添って「いわき入り」してました。(それまでも幼い頃から何度来てた)

当時は親戚宅で暇も持て余し、文化センターの中の図書館に行く予定でしたが
気が変わって駅に向かい、未開拓の末続へ向かう事にしました。
乗ってきたのはED75が牽く青色と茶色の混成編成の旧客でした。

当時の我が家では車の免許を持つものがおらず、鉄道は日常の移動手段なので
1人で乗る事に関しては全然平気でした。

んで国鉄時代なので、今みたいに「1時間に1本」ではなく2~3時間に1本。
降り立ったはいいけど、帰りの汽車まで数時間待つのはザラで当たり前な訳ですが

近くに海があるので、そこまで歩いていってみたり、通過する貨物や特急(当時は沢山あった)を
駅の中から眺めたり、あと末続駅には当時、地元の人たちが持ち寄った本でミニ図書館みたいなのもあって

全然暇を持て余す事もなく、気付いたら帰りの汽車の時間だったりしました。

と言うか当時から、この駅の雰囲気が大好きで、その後も何の用事もないのに何度も訪れたり‥
単に駅の中で時計の音を聞いてボーっとしてるのが好きなんですよねぇ。
そう言えば今日だって、特に用事もないのに着てたな(^^; 
今となっては「サッシじゃない扉や窓」も、なかなか貴重かも知れません。
動画で、道路の上にホームか被ってる位置がありますが、帰りの
「急行ときわ」の間合い運用である451&453系の普通電車でグリーン車が無料開放されていました。
その停車位置が、まさに、この道路の上。やぁもう30年も前の事なんですね‥懐かしいなぁ。

こう言う駅は平成になってからの昨今、どんどん取り壊されて停留所みたいな簡素なものになってしまいました。
(例=常磐線桃内駅)
この駅だけは‥名前負けせずに末え永く続いてくれる事を願います。